TECHNIQUES技法
オールドノリタケが製造されたおおよそ60年間には、その時代のニーズに合わせ様々な技法やデザインが製品に取り入れられてきました。
ここでは、オールドノリタケの代表的な「技法」を紹介します。
白生地上にチューブ状の器具(イッチン)で泥漿(でいしょう)を絞り出したり、筆などにより泥漿を塗り重ねたりする技法で、泥漿盛り・白盛りなどとも呼ばれています。技法の施された部分は艶消しの白色で、この技法を用いて図案を描く他にも点や線を描いた装飾用としても使用されています。泥漿に絵具を混ぜる場合も多く、また、泥漿の代わりにガラス分の多い盛り絵具を使用した場合は「エナメル盛り」と呼び、通常の「盛り上げ」とは異なり、光沢のある仕上がりになっています。
「盛り上げ」技法を応用して薄く盛り上げた模様を下地として、その上に金彩を施す技法を「金盛り」と呼び、また模様が連続した点装飾の場合を「金点盛り」(ビーディング)と呼びます。この技法は、装飾用として多くの製品で使用されており、その作風が非常に豪華なことから後年まで一つの装飾方法として応用されてきました。「金盛り」技法で図案が描かれている製品は比較的少なく、ほとんどが装飾模様に利用されています。「エナメル盛り」技法による擬宝石(ジュール)を装飾した非常に豪華な製品には「金盛り」技法が併用されています。また、青緑色の小さなジュールを「金点盛り」のように全面に施した製品をアクアビーディングと呼びます。
肖像画が石版印刷されており装飾には「金盛り」「エナメル盛り(ジュール)」技法が多用されている高級品に使用されています。当時の日本人画工にとって西洋人の顔を描くことは至難の技だったことから、印刷済み転写紙をヨーロッパから輸入して使用していました。印刷といえば現在では量産型の廉価品の代名詞のように考えられますが、オールドノリタケの初期製品では高級品でのみ使用されていました。印刷された人物としては転写紙の輸入先であるヨーロッパにおいて当時民衆に支持されていた女性など40種以上が確認されています(ルイーズ女王・ジョセフィーヌ皇后・レカミエ夫人・ルブラン夫人・マリーメディチ・マリー・アントワネット等)。また、男性・僧侶・インディアン等も使用されています。
製品全体が瑠璃(るり)(コバルト)色で覆われており、大半が装飾としての「金盛り」技法が併用されています。瑠璃色の透明絵具は「金盛り」と同様、多くの製品に装飾用として使用されており、両色のコントラストが非常に美しいことから、後年まで装飾方法のひとつとして利用されてきました。
素焼き前の柔らかな生地に布を押しあて模様を付けたり、「モールド」技法により布目模様を付け焼成することで素焼き生地を作り、これをキャンバスに見立てて風景や花などを描くことにより、より絵画的な演出を試みた製品です。製品のほとんどが小型の花瓶であり、数量も少なく稀少品のひとつと言えます。
「モールド」技法で作った立体的なレリーフ(浮き彫り)生地に画付けをした製品です。石膏型に泥漿(でいしょう)を流し込んで生地を成型することは、轆轤(ろくろ)成形ではできない花瓶やポット等も同じ技法ですが、あえて、モチーフをよりリアルに表現する目的で図案デザインそのものにこの技法を応用している点が大きな特徴といえます。製品には花瓶や飾り皿も見られますが、葉巻入れ・灰皿・ビアマグ等の男性向けアイテムが多いのも特徴のひとつです。
「盛り上げ」技法を緻密に駆使して、英国ウェッジウッド社のジャスパーウェアを模写した製品であり、稀少品のひとつです。後年まで製造されましたが、後の時代の製品は「盛り上げ」技法ではなく手描きや転写画で模写したタイプやそれに転写による人物画を組み合わせた技法に変革してゆきました。
薬剤を用いて生地表面を部分的に溶かすことで表面上にデザインを凹凸状に形成し,その上から金彩を施す技法です。和名を「クサラシ」といいます。ファンシーウェアでは全面にエッチングが施された製品が多く、なかには図案化されたものもあります。また、画付け部分以外に装飾としてエッチングを施した製品もあります。ディナーウェアなどでは周囲のボーダー部分にエッチングが施されており、金彩と比べて技術的に難しく非常に手間を要することから、高級品にのみ使用されています。エッチング液が有害なので、現在では「エッチング」技法に代わり「サンドブラスト」技法が用いられています。
ラスター彩とは陶磁器の表面に薄い金属皮膜を作ることで、真珠のような虹色の光沢をもたせた透明彩色のことです。 近代の日本においては、明治初期に水金・転写紙などとともに外国の商社(ワンタイン商会など)によってラスター液も輸入されていました。オールドノリタケでは、石田佐太郎が明治中頃から製品のごく一部に使用したとの記録がありますが、大半は1920~30年代のアールデコ風デザインの製品に使用されています。1920年代にはようやく自動車や機械製品が市民生活に浸透し始め、金属製品も身近なものになってきしたが、高価なものであったため、ラスター彩は,当時の人々に金属製品のような斬新さを印象付ける目的で使用されたと考えられています。
アールデコ様式は1910‐1920年代にフランスを中心として生まれたデザイン様式です。1925年(大正14年)フランスのパリで「現代装飾芸術・工業美術国際博覧会」(アールデコ博)が開催され、翌年より米国で巡回展が開催されました。これを機に米国でのアールデコブームが一気に拡大したと考えられます。 アールデコブームが到来する以前、米国モリムラブラザーズの販売部長だったチャールズ・カイザーは、米国のライフスタイルに合致した製品の開発を目指して1918年(大正8年)に英国のデザイナーであるシリル・リーを雇い入れました。オールドノリタケアールデコ風製品の起源は、1922年(大正11年)にデザインスタッフの主任としてシリル・リーを抜擢しアールデコ風製品の製造を開始したことに端を発すると言われています。アールデコ風デザインの製品は、1929年(昭和4年)から始まった世界恐慌の影響を受け、1931年(昭和6年)頃には製造ラインから姿を消すことになりますが、製造開始から終了までの約6~10年間に約900種類以上のデザインが生み出されたと言われています。 製品の種類・器型・図案ともに多岐にわたっており、単に画付けでデザインを表現した平面的な製品と「モールド」技法を用いて生地成型の段階でデザインを取り入れた立体的な製品が見られます。また、この時期から製造が開始され始めた多種類の器型が見られる。図案も人物・植物・動物・風景・幾何模様などの多岐に渡っており、とくに婦人をモチーフとした製品や幾何図案製品は人気が高い。またラスター彩を仕上げに使った製品が非常に多く、これがオールドノリタケアールデコ風製品の大きな特徴と言えます。
オールドノリタケの材質の殆どは硬質磁器製品ですが、昭和初期に起こった世界恐慌の時代に従来の硬質磁器製品とは別の新製品が必要であると考えた日本陶器は,自社の技術力を世界に誇示する目的で,当時は英国製品の独占状態であった軟質磁器であるボーンチャイナの開発を始めました。 1933年(昭和8年)に製造に入り1935年(昭和10年)から本格化し、また1939年(昭和14年)には工場を拡張し、ティーセットを大量に輸出できるまでになりました。ボーンチャイナは流し込み成型によるフィギュアや花瓶などの製造に適した素材だったため、初期の製品はフィギュアや花瓶に限られており、轆轤(ろくろ)成形によるディナーウェアやカップ&ソーサーが登場するのは少し後になってからになります。また硬質磁器製品では発色が不可能だったサンゴ赤(朱色に近い赤や真紅)を使った製品を用いて売り出しため、当時はサンゴ赤がボーンチャイナの代名詞となりました。 ボーンチャイナの製造コストはきわめて高く、高級品であったため商売にむすびつけるのが困難であったようです。それゆえその技術力を損失しないため、太平洋戦争で硬質磁器製品の製造を中止していた間も政府指定の技術保存工場として僅かながら製造を続けることができました。